2012/07/26

Barbour(バブアー)の歴史


Barbourの創業者ジョン・バブアーは、スコットランド南西部のキャロウェイ地方で農家を営む旧家の次男として1849年に生まれました。
寒く厳しいスコットランドの天候のなかジョンは羊の世話をしていたそうです。そして青年になったジョンは故郷を後にし、イングランド北東部に移住します。

1870年より布地の行商を始め、1894年には新会社「J Barbour & Sons」を設立。当時急速な発展を遂げつつあったサウス・シールズ港に出店し、北海の悪天候の下で働く漁師など労働者のために「ビーコン」という名のオイルスキン(油を塗った布製レインコート)を発売しました。優れた防水性と耐久性が評判を呼び、サウス・シールズ店は瞬く間に北東海岸沿いで随一のオイルスキン取扱店となったのです。
その後イギリスの植民地にも販路を広げ、次第に植民地以外の国からもビーコンを受注されるようになっていきます。
こうして20世紀初頭にはジョンのビーコン・オイルスキンはイギリスのみならず世界にその名を広げていきました。


(左)創業者ジョン・バブアー (右)最初のカタログ 1908


(左)BEACON Sylkoil 1910 (右)Short Heavyweight 1934

1914年から始まる第一次世界大戦では軍に防水服を供給し、第二次世界大戦にはその高い機能性が評価され、バブアーのオーバースーツが潜水艦ウルスラの搭乗員服(ウルスラ・スーツ)に採用されました。
当時のウルスラ艦長だったジョージ・フィリップスが、部下にウルスラ・スーツを着せて消火ホースで水を浴びせたところ、激しい水圧にもかかわらず部下の体は全く水に濡れなかったという逸話が残されています。

1930年代になるとこれまでの製法に改良を加え、現在の形の原型となるオイルドコットン「ソーンプルーフ(植物のトゲなどに強い耐刺加工)」を開発します。
1936年にはジョンの孫ダンカン・バブアーが、モーターサイクル仕様のライダース・ジャケット「インターナショナル」を発表。高機能かつ洗練されたそのジャケットは1936~77年までイギリス・インターナショナル・チームに採用され、まさにライダース・ジャケットの代名詞となったのです。


(上)ウルスラ・スーツを着たジョージ・フィリップス艦長
(下)インターナショナルを着てレースに参加した国際チーム

1973年にマーガレット・バブアーが会長に就任。就任後の1980年、軽量のソーンプルーフ地でショート丈にデザインされた乗馬服「ビデイル」を発表し、瞬く間に大好評を博しました。
また1983年にはゲームハンティング用の「ビューフォート」も考案し、現在まで続く逸品が次々と作られました。

こうした真摯なものづくりとその品質が認められ、1974年にエディンバラ公より、1982年にはエリザベス女王陛下より、1987年にはチャールズ皇太子殿下よりロイヤル・ワラント(英国王室御用達)を授与され、バブアーはカントリーウェアメーカーとして確固たる地位を確立しました。

これまでに数々の賞を授賞し続けている信頼し得るメーカーとして、今でもバブアーのオイルドジャケットはサウス・シールズのサイモンサイド本社の工場で手作業で作られています。
現在ではオイルドジャケットに加え、ズボン・シャツ・ソックス・ニットなどさまざまな製品をメンズ・レディース・キッズで展開しており、日本を含む世界40ヶ国以上で販売されています。


参考資料:Barbour Catalogue 'Weather Comfort' '1997' '2001' | www.barbour.com